【光る君へ】源明子はなぜ女王と呼ばれている?皇族なの?と話題に

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光る君へ明子はなぜ女王?
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大河ドラマ「光る君へ」で道長の妻となる源明子(みなもとのあきこ)(瀧内公美)。

道長の姉である藤原詮子(ふじわらのあきこ)が明子のことを「明子女王」と呼んでいました。

天皇の子息ではない様子なのになぜ「女王」と呼ばれているのかご紹介します!

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目次

源明子「女王」は皇族なの?と話題に

道長の妻として、詮子が推す「明子女王」。

アキコつながりでややこしいですが、道長の姉が見込んだ明子さまは源高明の娘です。

源高明の娘がなぜ「女王」と呼ばれるのか、疑問に思う人が多いようですね。

どうしてなのでしょうか。

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【光る君へ】源明子はなぜ女王と呼ばれている?

源氏姓の父を持つ明子はなぜ「明子女王」と呼ばれているのでしょうか。

理由は、

明子は醍醐天皇の第15皇子の盛明親王の養女になったから

天皇の子息の養女だから「女王」と呼ばれているのですね。

盛明親王は、明子の父の弟にあたり、明子にとっては叔父です。

明子の父の源高明は、醍醐天皇の第10皇子でしたが、6歳~7歳のときに臣籍降下して源姓になりました。

臣籍降下(しんせきこうか)は、皇族がその身分を離れ、姓を与えられ臣下の籍に降りること。Wikipedia

その娘の明子も「源明子」でしたが、父が藤原氏との政争に敗れ(安和の変)失脚。

その後、叔父である盛明親王の養女になって「女王」と呼ばれる立場になったそうです。

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明子女王について私の感想

Sara

女王といっても父の後ろ盾もない明子は辛い立場のようでしたね。藤原氏への復讐を誓って道長と結婚を決意する姿が印象的でした。

まとめ

大河ドラマ「光る君へ」で道長の妻となる源明子が「女王」と呼ばれている理由についてご紹介しました。

明子は醍醐天皇の息子である盛明親王の養女になったことから「女王」呼びされている

最後までお読みいただきありがとうございました。

▼明子が藤原氏を恨んでいる理由とは?

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▼色々あるけど、まひろの結婚相手は宣孝(佐々木蔵之介)なのはなぜ?

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この記事を書いた人

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