大河ドラマ「光る君へ」で道長の妻となる源明子(みなもとのあきこ)(瀧内公美)。
道長の姉である藤原詮子(ふじわらのあきこ)が明子のことを「明子女王」と呼んでいました。
天皇の子息ではない様子なのになぜ「女王」と呼ばれているのかご紹介します!
源明子「女王」は皇族なの?と話題に
道長の妻として、詮子が推す「明子女王」。
アキコつながりでややこしいですが、道長の姉が見込んだ明子さまは源高明の娘です。
#光る君へ 道長くんのもう一人の妻、源明子女王さま。この「女王」ていう尊称はどういう理由でついているの?教えてくわしいひと。
— 篠原正美/すずはら篠 (@suzan2nd) March 25, 2024
『光る君へ』
— fel_vic (@fel_vic) March 24, 2024
源明子が女王と呼ばれるのが解せない。
明子さまって本人は詮子さまからは明子女王って呼ばれてたけどパパもお兄も源でなんで本人だけ皇族?って思ってたけど字幕には源明子って出てた
— armagnac (@armagnac13) March 25, 2024
やっぱり明子さまも源氏なのかなあ
もしかして詮子さまがあえて箔をつけようとして非公式にそう呼んだのかなあ
源氏なんて実質皇族じゃん的な?#光る君へ
源高明の娘がなぜ「女王」と呼ばれるのか、疑問に思う人が多いようですね。
どうしてなのでしょうか。
【光る君へ】源明子はなぜ女王と呼ばれている?
源氏姓の父を持つ明子はなぜ「明子女王」と呼ばれているのでしょうか。
理由は、
明子は醍醐天皇の第15皇子の盛明親王の養女になったから
天皇の子息の養女だから「女王」と呼ばれているのですね。
盛明親王は、明子の父の弟にあたり、明子にとっては叔父です。
明子の父の源高明は、醍醐天皇の第10皇子でしたが、6歳~7歳のときに臣籍降下して源姓になりました。
臣籍降下(しんせきこうか)は、皇族がその身分を離れ、姓を与えられ臣下の籍に降りること。Wikipedia
その娘の明子も「源明子」でしたが、父が藤原氏との政争に敗れ(安和の変)失脚。
その後、叔父である盛明親王の養女になって「女王」と呼ばれる立場になったそうです。
明子女王について私の感想
女王といっても父の後ろ盾もない明子は辛い立場のようでしたね。藤原氏への復讐を誓って道長と結婚を決意する姿が印象的でした。
まとめ
大河ドラマ「光る君へ」で道長の妻となる源明子が「女王」と呼ばれている理由についてご紹介しました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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